語感モード

見えないからこそ、できることがある。

2007.09.22 投稿者:藤川麻夕子

先日、やまもといずみに誘われて「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というものに参加しました。
ジャンルとしては「メディアアート」になるみたいなんですけど、ワークショップ形式のアトラクション?という感じかな。アートなのかなあ。ちょっと私にはよく分かりません。

目をつぶっていてもあけていてもまったく同じ暗闇の中で1時間「探検」をするんです。8人一組で、廃校となった小学校をみんなで協力しながら手探りで進みます。目の見えない方が先導してくれる(ほんとに頼りになる!)ので、危険とかはほとんどない感じです。体育館や音楽室、用務員室などを回って、時々何かを発見しては「こんなの見つけた!」と叫んだり、足の感覚だけを頼りに階段を上ったり降りたりします。

何せ何も見えないので、頼りになるのは「音」と「感触」と「空気(風)」。「気配」という言葉がありますけど、真っ暗闇の中では、本当に至近距離に人がいてもぜんぜん気配を感じない。気配は目に見えないものだと思っていたけれど、実際には目に見えているからこそ感じるものなんだと知りました。


見えないから、「私はここにいるよ」ということは、言わないと伝わりません。「何をしているか」も伝わらない。だから、一生懸命言葉を使うんです。みんな に伝えようという気持ちがフルパワーで動きます。だんだん慣れてくると、「ここに段差がある」とか、「ここに何かおもしろいものがある」ということも共有 しようという気持ちになってきて、みんなで言い合うようになります。見知らぬ人同士だけど、その場ではものすごい連帯感が生まれ、お互いに自然な気遣いが できるようになっていきます。

そうして暗闇の中の1時間が終わって出てきたとき、私はもう、シャワーを浴びたんじゃないかというくらい汗びっしょり。髪の毛からはぽたぽたと汗が落ちて いるくらいでした。そんなに暑さは感じなかったから、多分「冷や汗」なんだと思う^^; 自分がずっと緊張状態の中にいたのだいうことを知りました。

「すっきりした!」とはっきり思いました。
目が見えない。いつもできていることができない。それは多分、実際にはストレスなんだと思います。だけど私は逆に、ストレスを発散したような気持ちになっ たんです。最後のアンケートを書きながらそれがなぜかを考えていたのですけど、多分私は「見えるからこそできない」ストレスの方が大きかったんだと思いま した。

人の表情が見える。動きが見える。メールの中にも「行間」が見えたりする。
そういうことが、私の行動をいかに制限していたかを知ったのです。
「私はいまここで、こういうことをしている」ということを素直にしゃべっていなかったんだ、と。何かをしたいと思ったときも、その瞬間に他人にストレート に伝えられることなんてめったにない。見えないことでいろんな障害がなくなって、自分の思いをそのまま口にできることの気持ちよさを知ったのです。

やまもといずみは、 むしろストレスを感じたそうです。それはきっと「ものをよく見ているから」なんだろうと言っていました。私は多分、目に見えるものから類推される「見えな いもの」を見てることの方が多いんですね、普段。そのもの自体の見た目よりも、それがなんで生まれたかに興味がある。多分このあたりは、日常生活での意識 の差なんだろうなあ。

「普通じゃない世界」にいることで、「普通の自分」が見えてくる。
そんな貴重な体験ができたひとときでした。

私たちの感想は両極端なんですけど、今思っていることは同じです。
「もう一度行きたい!」
多分、開催期間中にもう一度行くんじゃないかなあ。